みなとみらいに“高画質の未来”が
港町、横浜。日本を代表するこの港湾都市は、近代以降様々な文化を洋の東西から取り入れながら、今なお時代の最先端を生み出し続けている。そんな横浜の気風濃いみなとみらい地区で「世界最高の画質体験が出来る」と聞きつけ、麻倉怜士氏は資生堂研究開発センター「S/PARK」へ。そこでは一面に広がる“ソニー製”南国の海の感動が、我々を待ち受けるのであった……。
麻倉:今回は“未来の高画質映像”について考えさせられる取材体験がありましたので、ご紹介しましょう。高画質の世界において、世の中の一般常識では「放送は8Kで打ち止め」と言われていますね。確かに今のところ、放送としてはそうかもしれません。
――ましてや8Kはここ数年で本放送が走りはじめたばかり。牽引しているNHKも「究極の放送」として長年研究してきただけあり、“次の一手は?”と問われると本命はなかなか見えてこない感があります。
麻倉:ですが放送に縛られないネット動画などのフォーマットとなると話は別で、その自由な発想は8K以上の可能性を持っています。こういうポスト8Kの近未来高精細映像を観るなら、横浜の「資生堂S/PARK(エスパーク)」が最高、というのが今回のお話です。
S/PARKは2019年4月にみなとみらいにオープンした、資生堂の研究施設です。正式名は資生堂グローバルイノベーションセンター。横浜郊外にあった研究所がここへ移転してきたそうで、従来は隔絶された社外秘の施設だったのですが、このS/PARKではみなとみらいという新興先端地域の特性を生かしたオープンスペースを新設。1階・2階はカフェスペースやショールームなどが入る開かれた場所になっており、上層階に研究施設が入っています。
施設名の「S/PARK」は資生堂の頭文字“S”と公園“PARK”を接合した造語。と同時に、火花を意味する“SPARK”ともかけているようで、多様な価値観が交わることで化学反応が起きて新しいものを生み出す、という意味もあるそうです。
みなとみらいにはエンターテイメントの面白さもさることながら、例えば日産自動車のグローバル本社やIBMの大和研究所など、先端企業も結構集まっている土地で、我々の業界で言うとS/PARKの隣にLGの研究所が建設中だったりします。こうした先端地区の街ナカに作る意義を問うた時、オープンスペースは活きてくる訳です。つまり単に秘密の開発拠点だけではなく、ユーザーや一般の方に会社の施設を開くことで、一般の人に資生堂を訴求できる。同時に研究者が肌感覚で社会の方向性というニーズを汲み取る事も可能です。
ではなぜ化粧品などで有名な資生堂で高画質かと言うと、S/PARKのロビーに16Kのソニー製Crystal LEDディスプレイシステムが新設されたから。サイズは対角約790インチという超巨大なもので、聞くところによるとソニー製のCrystal LEDディスプレイシステムとしては世界最大のサイズだそうです。
新しい意味でのユーザーや一般市民とのコミュニケーションを取り、資生堂の方向性を超高精細映像で見せる。研究開発センターにおいて、そういう役割を持っています。そこへ16K×4Kという世界最大のCrystal LEDディスプレイシステムが導入され、稼働している。こういう取り組みはなかなか珍しく、 “お隣さん”となるLGもこれに触発されたようで、建設中の研究施設にはオープンスペースを設ける予定だそうですよ。
冒頭の写真は、超巨大で超高精細なCrystal LEDディスプレイシステムの前で撮影したもの。あまりに高精細なので予めおことわりしておくと、今回掲載の画像はすべて現地で実写したもの。ハメコミ写真は1枚も使っていない麻倉:大画面と画質との深い関係、それから大画面をプラットフォームとしてどんなコンテンツが制作されたか、というのが今回のお品書きです。大きさや画質についてこれからじっくりとお話しますが、ここで映写されているのはソニーPCLが制作した専用コンテンツ。これからの高精細映像の発展性を、技術的にもコンテンツ的にも非常に雄弁に指し示すものとして、大変注目するところです。
――そもそもなぜ資生堂のS/PARKにこんなにも巨大なCrystal LEDのシステムが入ったのでしょう?
資生堂グローバルイノベーションセンター“S/PARK”外観麻倉:ではまずその辺りから話を始めましょうか。資生堂としてはS/PARKプロジェクトの初期構想段階から、オープンスペースの壁全面を画面にして様々な情報やメッセージを出す事を打ち出していたようです。しかし明るい空間でこれほどの大画面ともなると問題は表示デバイス。輝度が限られるプロジェクターでは限界があり、現実的な選択肢としてはLEDディスプレイしかありません。
今回のデバイスはソニーのCrystal LEDですが、決め手は近接視聴しても画素が見えないということ。一般のLEDディスプレイにはつぶつぶ感が多かれ少なかれありますが、例えば渋谷交差点のサイネージ郡の様に遠く離れて観ている分にはさほど大きな問題にはなりません。しかし今回のS/PARKは、映像に触れられる、映像を通じてバーチャルでオブジェクトに触れられる、そういう濃密なコミュニケーションがコンセプト。そうなると壁に近寄って目の前で観ることもあるはずで、もっと言うと概念的には壁がそのまま映像になっているものが必要なのです。
近年の高画質デバイスと言えばOLEDが頭に浮かぶ人も多いでしょう。実際にS/PARKでもOLEDの案はあったのですが、大型OLEDパネルは精々88型が今のところ限界で、壁一面の1枚パネルなどとてもではないですが製造できません。そうなると複数のモニターを敷き詰めるという方法しかなくなる訳ですが、これではディスプレイユニットのつなぎ目が出てしまい、巨大な一枚絵としてのリアリティを著しく削いでしまいます。理想は画面の向こうにあたかも一つの世界が存在する、そんな錯覚に陥るディスプレイ。視覚の中につなぎ合わせの線などあってはいけません。
そこで出会ったのがソニーのCrystal LEDでした。Crystal LEDの凄さはCESリポートをはじめ、様々な場面で話をしてきましたが、利点としては光源サイズが非常に微細で、近付いても全く気になりません。しかもブロックユニットを組み上げればつなぎ目も全く見えない。という事で、S/PARKには8Kを横に2つ並べた、19.3m×5.4mの超巨大16K画面が導入されることになりました。
ディスプレイの紹介パネル。オーダーメイドのCrystal LEDディスプレイシステム麻倉:今回資生堂が価値を見出した大画面・高精細・つなぎ目なしのメリットですが、実は最近様々なところで使われだしています。元々は2012年の55型マイクロLED試作機。この時はブロックユニットではなくテレビタイプでした。2012年はOLEDの本格普及前で、具体的に言うと3Dテレビの末期辺り。そんな中で突然出てきて多くの人を驚かせました。
――前予告も無しに試作機が登場して“OLEDさえも超える二次元テレビの究極デバイス!”みたいな衝撃を業界に与えましたね。僕をはじめ「これが民生機として市販されたらどんなに素晴らしい絵を見せてくれるのだ!」と期待した人は多かったはずです。
麻倉:ただしこれをテレビとして組み上げるには、例えば4Kの800万画素の場合、RGBサブピクセルを考慮するとざっと2,400万のLED素子が必要となります。2,400万個もの極小LEDを不良品なしに敷き詰めるのは、量産時の歩留まりを考えるとあまりにハードルが高いでしょう。価格は高くなり、検品で大量の不良を出していたかもしれません。
これをCrystal LEDとしてブロックユニットにした、というのがソニーのラディカルな転換です。業務用大画面に的を絞り、製造面で見るとユニットにすることで不良が出たときの傷口が小さくて済む、つまり歩留まりが上がり、グッと量産の現実味が出てきました。
流れとして面白いのはサムスンが追従したこと。同じ様なマイクロLEDのユニットを作っていますが、近年のCESでは画質の良さもさることながら、自由な形にできることを訴求しています。実はサムスンはマイクロLED登場の前年に、CESでカタチを自由に変えられるテレビというコンセプトを打ち出していて、その文脈からマイクロLEDを活用したと見ることも出来るでしょう。
Crystal LEDを活用したシステムは大型で、コントラスト無限大の超高画質を出せる。OLEDと比較しても動画特性が有利。非常に緻密でクリアな絵を出せると、最高の画質クライテリアはCrystal LEDが持っています。それを活かすソリューションとして、今年のCESでソニーはバーチャルスタジオコンセプトを訴求。映画スタジオの壁面をCrystal LEDディスプレイシステムで敷き詰めることによって、あらゆる環境に変えられるというデモを披露しました。
ソニーが「CES 2020」で披露したバーチャルスタジオコンセプト。Crystal LEDを背後に設置し、そこに様々な映像を表示し、映画として撮影できるこのバーチャルスタジオは収録だけでなく、絵作りの現場でも活用できます。液晶やOLEDくらいのサイズではなく、壁面サイズの大きな画面で体感しながら絵作りすることで、よりコンテンツの本質に迫ったグレーディングが出来る。そんな映像制作におけるCrystal LEDの可能性、という訴求があったのも、このデバイスの魅力を上げています。
それで言うと今回のS/PARKは、“大画面高画質という可能性は凄くある”そう感じさせました。従来でもLEDを使えば、特大画面は作れていたのですが、S/PARKのそれは今まで見てきたものとは明らかに違う次元の世界だったと思います。
――他社、あるいは別方式などでいうと、阪神甲子園球場や東京競馬場に導入されている三菱電機の「オーロラビジョン」が超特大画面として名を馳せていますよね。ですが、あれらはそれなりの距離から視る画面で、今回のような“手を伸ばして届く距離”とは違います。
麻倉:もっと言うと、これまではLEDの画質性能が大画面に追いつかない、ということがあったんです。以前アストロデザインが400インチの特大8K画面をInterBEEで出したことがありましたが、これはブースの外壁を全部画面にしてしまう巨大サイズでした。
同社の鈴木社長は「8Kは特大画面のプラットフォームであり、100インチ程度ではなく数百インチクラスの大画面で観るところに良さがある」という思いを持っており、過去のインタビューでもそういう話を幾度となく聞いています。
しかし当時の技術として、そんな大画面を実現できるデバイスは、プロジェクターとLEDに限られていました。この頃中国ではLEDが盛んになっており、実際に数百インチほどのものはいくつかあったのですが、しかしこの時アストロデザインで視聴した感触は「タイリングの目地は見えるし、白は飛ぶわ黒は潰れるわで画質が悪い。これでは何のための8Kか」と。
結局アストロデザインも中国本土の企業ではなく、台湾デルタ社のプロジェクターテクノロジーを使って8Kを作る方針に転換。アストロデザイン、デルタ、(デルタ子会社の)デジタルプロジェクションという3社協業で、巨大画面8Kに挑んでいきます。
少し話が逸れますがこのデルタ、秋葉原にショールームがあり、実は8Kプロジェクターは日本にも結構入っているんです。昨今の情勢で「安全に観る」というスタイルをアストロデザインは訴求中で、舞台の収録コンテンツなどを配信する際に、8Kシアター活用を試みているそう。でもプロジェクターはシアターを構築する際にどうしても暗室が必要です。それを考えると、高画質で8Kの明るい部屋を実現できるのは、やっぱりCrystal LEDとなってしまうんですね。
話をS/PARKへ戻して。今回は8Kではなく16Kという超横長のスクリーン。このサイズでどの程度の画質が得られるかというのは、なかなか未知数なところがあります。問題はコンテンツです。つまり、Crystal LEDの高画質性能を活かすコンテンツは如何に作るべきか。そここそがポスト8K時代の映像制作への大きな期待なのです。