愛憎のカセット
カセットテープの発明者とされる技術者のルー・オッテンス氏が、2021年3月6日にオランダの自宅で死去した。94歳だった。
オッテンス氏と彼のチームは、フィリップスで1962年にカセットテープ「コンパクトカセット」を開発。広く普及することを意図し、基本特許を公開した。従来のオープンリール式録音テープよりも操作性と運搬性が格段に優れていたこともあり、各地域で普及。フィリップスの推計によると、全世界で販売されたカセットテープは1000億個に達するという。
それにちなみ、今回は車内での音楽の楽しみ方について少々。ただし高級カーオーディオ談義ではない。チープ感あふれる自身の体験談と最新の話題である。
カセットテープには個人的に大変お世話になった。
まずは1970年代後半に東京で通っていた小学校でのことである。筆者は放送部に所属していた。放送室で使う記録媒体は、カセットテープだった。
しかし、わずか1、2年違いの上級生はオープンリールを使っていた。その面倒な扱いを先生や上級生から小うるさく指導されていたら、人に指図されるのが苦手な筆者はさっさと退部していたに違いない。その後(自称)校内一の人気キャスターになれたのは、カセットテープのおかげといってよい。
中学生時代は、自作の“番組”をテープに吹き込んでは、同級生に持ち帰らせて聞いてもらった。ツインズの歌手であるザ・ピーナッツの名曲『ふりむかないで』を、一人二役で多重録音したのは、クラスメートだけでなく彼らの親たちにも大ウケした。それに気をよくして、台風の日に雨戸を開けて2時間近く実況録音したら、自分の親からあきれられた。そのテープは今も手元にあり、女房にあきれられている。
ちなみに音楽以外にもカセットテープを使った。思えば、高校生時代に人生初めてのパソコンとして買った中古のNEC製「PC8001」の記録媒体もカセットだった。
大学生時代に親から譲り受けた1980年式「アウディ80」には、輸入元だったヤナセが取り付けたナショナル製オートリバースカセットプレーヤー付きAM/FMラジオが装着されていた。
「そんな当たり前のことをいちいち書き連ねるな」としからないでいただきたい。それまで筆者の家にあったクルマに付いていたのは、カセット再生機能のない、単なるカーラジオだったのだ。それもAMのみだった。
だから幼いころ、親に連れられてガソリンスタンドに行くたび、店内に陳列されたテープ(最初は8トラックだった)は、たとえ中身が演歌であっても、うらやましく思ったものだ。
さらに言えば家にもオートリバースのカセットデッキなどなかった。したがってA面とB面を勝手に往来するそのオーディオは個人的に文明開化に値するものだった。
大抵の人は、この次あたりから「ドライブデートには、自分で前夜に必死で編集したカセットを持参したものだ」といったエピソードをつづると思われることだろう。
しかし筆者にとっては、カセットテープとの苦難が始まった時期にあたる。
就職した出版社には、社用車が何台もあった。そうしたクルマに自分が持参したカセットテープを持って乗ると、たびたび気分を害した。なぜなら、プレーヤーごとに再生速度が異なり、時に聴くに堪えないほどピッチが変わるクルマがあったのである。それも高級車だと、あたかも自分の絶対音感のほうが正しくないと言われているようだった。
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